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รายละเอียดคำ

澤村宗十郎 (4代目)

澤村宗十郎(よだいめ さわむら そうじゅうろう、天明4年〈1784年〉 - 文化9年12月8日〈1813年1月10日〉)とは、江戸時代中期の歌舞伎役者。俳名は遮莫・訥子、屋号紀伊国屋。紋は丸にいの字。 三代目澤村宗十郎の息子で母は四代目松本幸四郎の娘。弟に二代目澤村田之助がいる。寛政3年(1791年)正月、澤

คำที่เกี่ยวข้อง

澤村宗十郎 (2代目)

寛延2年(1749年)、初代澤村宗十郎の養子となり二代目澤村宗十郎を襲名、その後実悪に転じ宝暦13年(1763年)の評判記には実悪部で上上吉となって評価を上げる。明和のころには再び立役に転じ、明和6年(1769年)の評判記には上上吉となる。翌年には最高位惣巻軸まで昇りつめたが、京都で『双蝶々曲輪日記』の南与兵衛など演じたのが最後の舞台となった。享年58。

澤村宗十郎 (3代目)

出て評判となった。こうして三都にわたって多彩な活躍をしたが、晩年は体調を崩し台詞を忘れるなどの障害に悩まされた。享年49。墓所は田島山十一ヶ寺の受用院、戒名は遊心院傾誉西天。辞世の句は「あぢきなや 浮世の人に 別れ霜」。 当り役は『伽羅先代萩』の足利頼兼、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良助など。体格は

澤村宗十郎 (9代目)

平成7年(1995年) 紫綬褒章 平成12年(2000年)12月 歌舞伎座『若木仇名草』(蘭蝶)の蘭蝶をつとめ、共演した七代目中村芝雀、五代目坂東八十助とともに切口上も行い、翌月の十代目坂東三津五郎の襲名を祝った。これが伝説の最後の舞台となった。 平成13年(2001年)1月12日 心不全のため、大阪赤十字病院で死去。墓所は多磨霊園(14-1-9)

澤村宗十郎 (7代目)

先、姫路の巡業先で『仮名手本忠臣蔵』の勘平を演じている最中に倒れた。その最後は、揚幕の中で「財布。財布。」と六段目の勘平の使う小道具の財布のことを口走りながら逝くという壮絶なものであった。 鷹揚な性格で、被るべき鬼女の面を忘れて舞台に立ってしまい、止むなくそれらしい顔をしてごまかしたというエピソードが伝わっている。

澤村宗十郎

澤村 宗十郎(さわむら そうじゅうろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は紀伊國屋。定紋は丸にいの字、替紋は花有り足有りの笹竜胆。 代々の墓は田島山十一ヶ寺受用院にある。 澤村宗十郎(初代澤村長十郎) 初代の師匠・初代澤村長十郎 (1675–1734) が一時期「宗十郎」を名乗ったが、その後すぐに「長十郎」に復した。代々には数えない。

澤村國太郎 (4代目)

七代目澤村宗十郎の門下で1926(大正15年)に四代目澤村國太郎を襲名、以後若女形で舞台をつとめる。 以後、戦前はマキノ・プロダクションのスターとして戦後も日活を中心に活躍した。 1960年(昭和35年)に脳卒中で倒れた後は半身不随の身になり、病気療養に専念した

澤村藤十郎 (2代目)

とうじゅうろう、1943年(昭和18年)10月12日 - )は、歌舞伎役者。本名は澤村豪一(さわむら ごういち)。屋号は紀伊國屋。定紋は笹竜胆(ささりんどう)、替紋は波に千鳥。歌舞伎名跡「澤村藤十郎」の当代。最終学歴は暁星高中退。 東京都出身。父は八代目澤村宗十郎、兄は九代目 澤村宗十郎であり、いとこには六代目

中村富十郎 (4代目)

にする。矢車座を結成し新作の上演をおこなったりして活躍したが、関西歌舞伎の低迷の中で思うように活躍できぬまま、巡業先の広島県福山市で急死した。 ねばっこい近代的な芸風で『心中宵庚申』のお千代。『箕輪の心中』の綾衣、『少将滋幹の母』の北の方、『番町皿屋敷』のお菊などが当り役。

關三十郎 (4代目)

さんじゅうろう、新字体:関 三十郎、1838年(天保9年) - 1889年(明治22年)7月10日)は、幕末から明治初期の歌舞伎役者。屋号は尾張屋。俳名に中車・歌山・黄雀など。本名は關 喜兵衛(せき きへえ)。 五代目市川八百蔵(三代目關三十郎)の養子となり、幼名を花助。最初は關花助の名で江戸で若衆形で舞台に出る。文

澤村源之助 (4代目)

明治18年から明治24年にいたる短い期間が源之助の最初の全盛期であっただろうと作家の岡本綺堂は観察している。源之助といえば「水も滴るようなお女郎役者」として少年の頃の綺堂の記憶に刻みつけられていたのだ。 三代目澤村田之助の芸を継承し、切られお富、うわばみお由、女團七、鬼神のお松

澤村宗之助 (2代目)

第19話「鳥と鳥とをとりちがえ」(1974年、ABC) 伝七捕物帳 第42話「殺しを呼ぶ富札」(1974年、NTV)- 富田屋 役 江戸を斬るII 第6話「濡れ鼠河内山宗春」(1975年、TBS/C.A.L.) - 越後屋六右衛門 役 [脚注の使い方] ^ a b c d e f g h i j k l 東宝特撮映画全史

澤村藤十郎

澤村 藤十郎(さわむら とうじゅうろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は紀伊國屋。定紋は笹竜胆(ささりんどう)。 重井筒藤十郎(初代 澤村藤十郎) 初代 澤村長十郎の長男。生没年不詳。澤村藤十郎を名乗っていないが、澤村家の藤十郎として初代に数える。 重井筒藤十郎 二代目 澤村藤十郎 八代目澤村宗十郎の次男、1943–

今藤長十郎 (4代目)

『百世の寿』 『天守物語』 『藤波 ふじむらさきしのぶ』 『芸者仇吉』 『ゆかりの藤波』 『相幻道成寺』 『海道下 平家物語全集より』 『夜の空』 『花見舟』 『鹿』 『風にゆられて』 『春の岸』 『春怨抄』 『鳥居峠』 『おはん』 『曼珠沙華』 ^ 『官報』号外235号、令和4年11月4日

坂田藤十郎 (4代目)

扇雀当時、お初で大当たりをとった時の人気は凄まじく、特に関西では知らない人のいないほどだった。中には本人許諾のもとで社号及び商標を扇雀にあやかったものに改名する会社まで現れた。扇雀飴本舗はその会社の一つ。関西の年配者には今でも「センジャクはん」と呼ぶ者も多い。 昭和30年代から、浮気騒動を起こすことがよくあり、週刊誌上を

市川米十郎 (4代目)

弁天小僧』(『浜松屋』) : 監督吉野二郎、1930年10月3日公開 - 南郷力丸 『信州侠客伝』(『信州侠客陣』『兇状旅信州路』) : 監督中島宝三、1930年11月14日公開 - 国定忠次(主演)、『兇状旅信州路』題・70分尺で現存(NFC所蔵) 『続お洒落狂女』 : 監督吉野二郎、1930年12月19日公開 -

市川團十郎 (4代目)

芝居茶屋の和泉屋勘十郎の次男、実は二代目市川團十郎の隠し子ともいわれている。 この子には梨園に入ることが生れたときから運命づけられていたようで、「稽古始め」の歳になった正徳4年(1714年)にはさっそく二代目團十郎の高弟・初代松本幸四郎の養子になり、享保5年11月(1720年12月)に松本七蔵の名で

澤村四郎五郎 (5代目)

く仕上げてあり、俳優たちも優美だったが、活劇場面のバカバカしさがなく、爆発的人気にはならなかった。しかし熱烈なファンはここにもおり、「松之助党」とか「四郎五郎党」などと名乗って、映画雑誌の読者欄では威勢の良い投書合戦が繰り広げられた。面長ですらりとした立ち姿が美しく、女性ファンからの人気が高かったという。

中村宗十郎

やはり九代目市川團十郎とはそりが合わずにその問題児ぶりを露呈した。『夜討曽我』初演時には團十郎に面と向かって下手糞だ、菊五郎の方が余程上手いと罵倒して喧嘩となり、仲裁に入った左團次にまで下手糞と罵って揉めたなどというのは序の口。團十郎の活歴志向が気に食わないからといって、彼がつとめる五郎が烏帽子に鎧

中村鴈治郎 (4代目)

して『家』にしたのではないかと思います。私もいい意味で、江戸の成駒屋と区別したい。『家』を使っていた時代があったのですから、また戻してもいいと思いました。それで、襲名を機に一門で『成駒家』といたしております。」「時間をかけて壱太郎の代ぐらいに定着すればいいと思っております。」 ^ “会員一覧 | 伝統歌舞伎保存会”